「SOSボトルに不良品があるらしい。」
そんな噂がまことしやかに、ブリタニア全土で囁かれだしたのは、まだ春も浅い頃だった。
サミィは、店の隅にある、ムーンリットが指定した保管庫の蓋を開いた。
「うーん、これだけあるとさすがに壮観かも…。」
中腰でつぶやくその後ろに、緑色の人影が近づいてきた。相手が声を発するより先に、サミィは振り向いて話しかけた。
「ご注文通り、SOSボトル100本です、けど…、ほんとにいいんですか?レイルさん。」
緑に染め上げられたローブに身を包んだレイルは、ゆっくりと頷いた。
サミィは、レイルの表情に胸が痛くなった。
(どうしてこんなことになってしまったのかしら…。気まぐれにしても、神様も悪ふざけがすぎるわ。)
保管庫の中のSOSボトルを見つめて動かないレイルのために、サミィは椅子を置いた。
「どうぞ座ってください、ね?
ついでに何か飲み物も持ってきますから、少しずつやりましょう。」
レイルは促されるままに椅子に腰掛けた。
「ありがとう、サミィさん。」
見上げてきたレイルの口元は笑顔を作ろうとしていたが、その目がなにかのせいで充血していることをサミィは承知していた。だからこそ、目を合わせることが出来ず、逃げるように飲み物を取りにその場を離れたのだった。
しばらくサミィの後ろ姿を見送っていたレイルは、ふいに日が落ちたことに気づいた。習慣的に周囲を明るくする呪文を口にすると、開け放された保管庫のボトルの群を改めて見つめた。
「まだもっと伝えたいことがあるかい?おいらはそれを…見つけることができるかな…。」
レイルはSOSを一本取り出すと、中の紙片をつまみ出した。
発端は、5日ほど前に遡る。
いつものようにSOSのサルベージに出かけたレイルは、引き揚げ地点で苦戦していた。
場所に間違いはないはずなのに、いっこうに宝箱の当たりがないのだ。
気がつくと、甲板の上は宝箱以外の釣り上げ品で埋まりそうな勢いだった。
「なんなんだ、いったい。勘弁してくれよぉ…。」
レイルはため息をついて、釣り竿を置いた。目の前には累々と壊れた樽や人骨、色とりどりの貝殻や海水に晒されて色褪せた絵が放り出されている。
「あれ?」
小さな絵の影に光るものがあるのに気がついたのはその時だった。レイルが不思議に思って絵を取り上げると、ガラス瓶が転がりだした。
「SOSボトル…?」
焦げ茶色のなんの変哲もない瓶の中に、小さく折り畳まれた紙片が見える。レイルは、自分のバックパックのSOSを数え直した。サルベージのために持ち出したボトルの数と引き上げが完了したものを足すと、今この手にしているSOSボトルは、余計だった。
有り得ないことだが、この引き揚げ作業のなかで一緒に釣り上げたとしか思えなかった。
「もしかして、特別なお宝にありつけたりして…?」
期待に胸を膨らませながら、レイルはそのSOSの中身を取り出した。
こんな悲惨な状況であるにもかかわらず、心安らかでさえある私を、神様はお許し下さるでしょうか?
愛するお父様のためとはいえ、私はやはり、あの方のもとへ輿入れするのが厭で仕方なかったのです。
でも、こうして船が遭難してしまい、漂流している今となっては、そのことを考えずに済みます。
このような事故ということであれば、あの方もむげにお父様を責めたりはなさらないでしょう。
約束はきちんと果たされ、花嫁の一行は指定されたとおり出航したのですから…。
ただ、この遭難が、私の小さな願いから引き起こされたものであるとしたら、供として付き添ってくれた使用人達や、船旅に慣れないだろうと心を砕いてくださった船乗りの皆さんには心から申し訳なく思います。
でも、この事は、神父様もおられないこの船上では誰にも打ち明けるわけにはいきません。
万が一にも無事にどこかの港へたどり着いたら、私は契約履行のためにきちんと行動しなくては行けないのですから。本当はこのまま逃げ出してしまいたいと思っていることを、誰にも知られるわけにはいかないのです。
だから、この手紙は誰の目にも触れないようにこのガラス瓶に入れて、窓から海へ投げ捨てます。
もし、この手紙が心ある方のもとへ流れ着いたなら、どうか私の告解として神父様のもとへお届け下さい。 I
無意識のうちに、レイルはその文面を何度も繰り返して読んでいた。
急いで書き付けたらしい綴りの文字から、見も知らぬ相手の静かだが強烈な感情がほとばしっていた。
「政略結婚…てとこかな。これって、いつの頃の話だろう?
遭難かぁ…どうなったんだろうなぁ。」
そうつぶやきながら、レイルはもう一度甲板の上を見渡した。
ふと、手紙入りの瓶を見つけたときの小さな絵が目に入った。
「あれ?…なんか…。」
よく釣り上げる他の絵と少し違っている。レイルはその絵をもう一度手にとって、よく見た。
色褪せて、多少明瞭さに欠けてはいるが、明らかに花嫁衣装を身につけた女性の肖像画だった。
「この手紙の主とか…?まさかね?」
確信を得られないながらも、レイルは絵を裏返してみた。
果たしてそこにあったのは、彼が望んだものだった。
『輿入れ前の花嫁。子爵家令嬢イザベル、16歳。』
レイルはもう一度絵を表に返した。
画家の腕がいいのか、描かれている少女の魅力なのか、レイルの目はその画面から離れなくなった。
派手さはないが上品なドレスが、花嫁の可憐さを引き立てている。ベールに半ば隠された花嫁の顔は、それでもその輪郭を十分に伝えている。ほつれて額にかかる髪の一筋が、彼女の美しさと花嫁衣装の華やかさの中にどことなく悲しみを感じさせる。
「あー、いつまでここに泊めておくんですかね、旦那。」
船頭に声をかけられるまで、自分が彼女の肖像画に長い時間見入っていたことを、レイルは気がつかなかった。
習慣に逆らえずギルドハウスに顔を出してみたものの、レイルは上の空だった。
昨日引き揚げた手紙と絵のことが頭から離れない。
結局あの引き揚げ品は全て自宅の保管庫の中にしまってあった。文面通り、どこかに届けるべきかとも考えたのだが、届け先の神父なる人物の居場所について、レイルには知る術がなかった。それと同時に、彼女の形見であるかもしれない品を、どうしても手放す気になれなかったのだ。
ぼんやりと海を眺めるレイルの耳に、一つの会話が飛び込んできた。
「…でね、そのSOSの中身ときたら、座標なんてどこにもなくって、ただの日記みたいな手紙なの~。がっかりだよ~。
でもね、こんなこと初めてだから、一応捨てずにとってはいるんだけどぉ、誰か買わない~?」
笑いあっている彼らの輪の中に、レイルは飛び込んでいった。
「そっ…それ、おいらにも見せて!」
レイルの勢いに驚きを隠そうともせず、それでも彼女はその紙片をレイルによこした。
お父様はお元気かしら?
出発の日に私の部屋まで見送りにきてくださって、頭を下げられたあの苦しそうなお顔が頭を離れません。
船の揺れにもだいぶ慣れて、海が凪いでいるときには甲板に出て潮風に当たったりすることもできるようになりました。
女中達は、日に焼けたりしたら、旦那様がお怒りになるって小言を言うけれど、それがなんでしょう?
日に焼けた私を見て、あの方が私をお気に召さないのなら、それこそ願ったり叶ったりではなくて?
あの方のお屋敷に入れば、お父様と暮らしていた頃より、もっと自由なことは許されない生活になるのですもの。今は、今だけは私のやりたいようにするわ。
今日はじめてイルカを見たの!
2頭が寄り添うようにして泳いでいて、近くにいた船の人が、あれは夫婦者に違いないって言ってたわ。
もうすぐ子供が産まれる季節なんですって。
その2頭はなんだか楽しそうに歌ったり、喋ったりしているように見えたわ。
私、微笑ましいと思っていたのに、急に悲しくなって自分の船室に戻ってしまった…。彼が気にしていないといいのだけれど。
イルカを羨ましいと思うなんて、おかしいかしら?
他人は、裕福な商家へ嫁ぐ私を幸せだと言うけれど、同じ貴族からは蔑まれていることを、私は知っている。
例えお金持ちでも、お父様よりお年を召した、逢ったこともない方との縁談を喜べないのは私だけなのかしら?
こんなことを考えること自体、許されないことなのかもしれない…。
これも瓶に入れて海へ流しましょう。誰かが私の懺悔の言葉として、許してくださいますように。 I
「レ…レイル?」
呼ばれて、レイルは我に返った。ちょうど目から溢れた涙が、手紙に染みを付けたのと同時だった。
「あ、ごめん。おいら…これ、買うよ。
いくらだい?」
持ち主はレイルの涙に毒気を抜かれていた。
「あ…いい。あげるから、持ってって…。」
レイルは急いで、目をこするととりあえず手元にあった金貨を全部、相手の手の中に押しつけた。
「もし、また同じようなものがあったら、おいらに教えてくれよ。」
そう言って移動の呪文を唱えると、レイルの姿はかき消えていた。
金貨を握らされて取り残された元持ち主と、その話の輪に加わっていた一団は、レイルの行動に呆気にとられていた。真っ先に口を開いたのは鍛冶屋のフィリアだった。
「レイルさんってあんなに感情移入の激しい人でした?」
皆が首を傾げている頃、レイルはギルドハウスがある隣の島にある店の扉をくぐっていた。
「いらっしゃいませ~、…って、レイルさんじゃないですか~。
こんにちわ~、お珍しいですね。」
機織り機から振り向きざま、店の主であるサミィはたたみかけた。
「うん、ちょっと頼みたいことがあって来たんだけど、いいかな?」
「はい、伺いましょう~。どうぞこちらへ。」
レイルは勧められた椅子に腰を下ろして、部屋の隅に立つ売り子を見据えたまま口を開いた。
「サミィさんの所で、SOS、安く売ってるよね。…おいらに、100本ほど売ってもらえないかな。」
突然の大口の注文に、閑古鳥相手の商売が専門の店主は、自分の耳と相手の正気を疑い、動けなくなった。
その時店主を驚かせた注文品を手に、当の注文主であるレイルは、今日何度目になるかわからないため息をついた。
飲み物を取りに行ったサミィはまだ戻ってこない。
ふと、店の玄関先に人の気配がしたかと思うと、扉が勢いよく開かれた。
「サミィ嬢はご在宅かな?」
女性にしては少し低めの、しかし朗々ととおる声で、その人物は店主を呼ばわった。艶やかな黄金の髪を無造作に背中へ長く垂らし、鮮やかな紺碧に統一された衣装が、その透き通るような肌を引き立てている。
最初は声に、次にはその姿に、レイルの視線は釘付けになった。
「おや、お客様がいらしたとは気がつかなかった。失礼。」
彼女は、レイルの視線に気づいて微笑むと、優雅に会釈をした。そして、彼の手にしている瓶と足下の保管庫に気づくと片方の眉を軽く上げて見せた。いたずらっぽい表情が、そのまま口調にも表れている。
「これはこれは。
この度は大口のご注文をいただきまして、恐悦至極に存じます。して、商品につきましてはご満足いただけましたでしょうか?」
「あ、ムーンリットさん、こんばんわ~。」
狐につままれたように呆然としているレイルと、婉然と微笑むムーンリットの間に、騒がしくサミィの声が降ってきた。
「あ、レイルさん、ご紹介します~。」
バタバタと階段を駆け下りてきて、慌ただしく飲み物を乗せた盆を手近な台に置くと、サミィはまだムーンリットから視線を外せないレイルに、彼女を紹介した。
「吟遊詩人のムーンリットさんです。うちでは財宝発掘関連商品を卸していただいてます。
ムーンさん、こちらPAFの一員でレイルさんです。今回の大口注文のご本人です~。」
ムーンリットは改めてレイルに会釈して片手を差し出した。
「はじめまして。ムーンリットと名乗ってブリタニアを放浪しております。以後よろしくお見知り置き願います。」
ここまできて、レイルはやっと我に返り、慌てて差し出された手を取った。
「お、おいら…じゃない、私はレイル・シェイドと申します。
初めてお会いする方への礼を尽くすこともせず、失礼致しました。
お許し願えるのであれば、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。」
2人の堅苦しい挨拶に肩をすくめて、サミィは飲み物を並べはじめた。
「差し支えなければ、この発注の理由をお聞かせ願えるだろうか?」
何杯目かのワインを手酌で注ぎながら、ムーンリットがレイルに尋ねた頃には、酒の力もあって、お互いはすっかりうち解けていた。ムーンリットが杯を先頭に、顔をレイルの方へ寄せる。
「わたしも聞きたいです~。」
下戸でしらふのサミィもムーンリットの真似をして、レイルへ顔を近づける。レイルは自然と上半身を引く姿勢になった。
「うまく、説明できないんだけど…。」
女性2人が同様にうなずき、先を促す。レイルは覚悟を決めて、全て話すことにした。
まずは瓶に入っていた手紙のこと、そしてイザベルの肖像画のこと。自分でもわけが分からず、ただ気になって、他にも彼女が流した手紙があるのなら見つけだしたいと思っていること。SOSは、その手段の一つだったこと…などが語られた。
「それは恋ですね~。」
嬉しそうにサミィが言う。ムーンリットが横で頷く。レイルが大きく頭を振った。
「な、なんでそうなるの?サミィさん…。ムーンさんも、頷かないでくださいよ。
おいら、そんな会ったこともない、生きているのか死んでいるのかもわからない相手にそんな…。」
レイルに最後まで言わせずに、サミィが人差し指を突きつけた。
「何かに心を惹かれたら、それは十分、恋ですよ!
なんか、ロマンチックでいいですね~。素敵です~。」
「サミィさん、勝手に盛り上がらないでくださいよ~。実は酔っぱらってるんじゃないでしょうね?」
「まぁ、彼女の言うことも一理ある。確かに絵姿であっても、イザベルの美貌は男心を掴むには十分すぎるだろうからね。」
「ムーンさんたら、まるで、彼女のこと知ってるみたいな口振りです~。」
「知っている、もちろん。」
にっこり微笑むムーンリットの顔に、サミィとレイル、2人の視線が釘付けになった。
「なぜ今頃、彼女の手紙がレイル殿の手元へ転がり込むことになったのかは、人の身にはわかりかねる。
が、一通目は偶然でも、二通目は必然かもしれない。そして…。」
ムーンリットの白く華奢な手が、2人の目の前をひらひらと舞った。まるで手品のように、その指先にはいつのまにか折り畳まれた紙片が挟まれている。
「三通目は運命かもしれない。」
「イザベルの幸福とは言えない輿入れの顛末も、彼女がどんな人生を送ったかも私は歌にして語ったことがある。
実際彼女と会ったこともあるのだから、これは信用してもらっても差し支えないとだけ言っておこうか。」
レイルの腰が宙に浮いて、その顔がムーンリットのすぐ前まで突き出された。
「教えてください!彼女は…イザベルはどうなったんですか?」
ムーンリットは愛用の竪琴を取り出すと、その弦を軽く弾いた。澄んだ音が、緊張する室内に響く。次いで、ムーンリットの声が、静かに流れ出した。
「体裁を繕うのに必死な父親は、娘の一人と引き替えに豪商から多額の援助を取り付けた。
娘は悲嘆にくれながら、それでも愛する父のため、黙って船に乗り込んだ。
折しも嵐の多い季節、船は洋上で荒れ狂う風と波の餌食になった。
沈むことは避けられはしたが、帆柱を折られ、乗組員の大半を奪い去られた船は、ただ波間に浮かぶ木の葉と変わりない。
僅かな望みは潮の流れと風の向き。天が味方すれば、いずこかの港へたどり着けよう。船に残された誰もが、天に祈った。
ただ一人、花嫁になるべき娘を除いて。」
そこまで歌い上げて、竪琴の弦を押さえ、ムーンリットはレイルを見た。
「ここまでが、君が手紙を読んだあたりの事情だね。」
レイルの喉が何かを飲み込むように動いた。サミィは睨みあうようにお互いを見ている2人を交互に見るだけしかできない。
「続きを聞くかね?」
レイルが大きく頷いた。ムーンリットが竪琴を抱えなおす、とすぐにその唇から歌声があふれ出した。
「来る日も来る日も陸地は見えず、残された人々の祈りが空しく響く。
部屋に籠もって祈る娘は、一人懺悔を繰り返す。海の沫と果てることを望む己の愚かさと、父親への愛に挟まれて、ひたすら涙し、許しを請うた。
聞かされるのはただ波ばかり、風ばかり。応えるものは誰もない。
船の食事は底をつき、ワインも饐えて澱みを抱く。
潮に染まった甲板を涙の潮が塗り込める。
帆布さえない帆柱に、絶望の声が絡みつく。
波も風も死に絶えて、鉛のような海原に、嘆きと苦悩と花嫁を乗せて、船は術無く立ちつくす。
昼の日差しは焼け付くようで、夜の闇間は凍えるばかり。」
そこまで歌って、ワインに手を伸ばしたムーンリットは、2人の聴衆が固唾を呑んで自分を見つめていることに満足を覚えて微笑んだ。ワインが唇を湿し、喉を潤すと、竪琴を持ち直して三度歌い出す。
「しかして、ついにその日は来た。
見れば、水平線の上に現れたのは無傷の帆柱、たくましい船体。
行方の知れぬ花嫁の一行を捜しあぐねて、港を出港した一隻の船。
甲板は歓喜に沸きかえる。力無く座り込んでいたどの顔も、力づけられ笑顔を見せた。
朗報にも扉を閉ざし、一人悔いる花嫁を除いて。
助けが近づくにつれて、甲板は騒ぎは熱くなる。
助けが近づくにつれて、花嫁の表情は凍りつく。
助かったと高らかに声を上げる甲板に、助けなど要らないと口に出せない花嫁。
頼りない船は寄せられた船の波しぶきを受けて最後の動揺をみせて、果てた。
無傷の船に次々と人が乗り移る。花嫁とその船室の外に立ちつくす従者を除いて。
役目を終えつつある痛々しい有様の船に、救出船の指揮者が降り立つ。
自ら花嫁を救出するために、静まりかえった船室へ降りる。
従者は、相手の身分を知らされて扉をふさぐ理由がない。
覚悟を決めた花嫁は、入ってくる相手と対峙した。
現れたのは、端正な姿の若者。まっすぐに花嫁を見据えて、恭しく礼を取る。
花嫁は、気力を奮い起こして顔を上げ、相手に向かって礼を返す。」
「なんだか、ドラマですね~。」
サミィが頬杖を付いたまま、ムーンリットを見ながら呟いた。それに気づいて、ムーンリットはゆっくりと竪琴の弦を押さえた。
「この後、この2人がどうなったか想像がつくかね?」
この問いかけにレイルは首を振り、サミィは頷いた。
莞爾としてサミィに向き直ったムーンリットは、彼女を促した。
「どうなったと思う?」
「2人はきっと、恋に落ちたでしょう?
夢見がちな少女の前に救いの手を持って現れた男性が、十分な魅力を伴っていれば、理由も時間も必要ないと思います~。」
レイルがその発言を呆然と見返す。視線があったサミィは肩をすくめてみせた。
「ご明察。するどいね。
この若者は、なんと彼女の結婚相手の息子だったのさ。元々この結婚に反対していた息子は、この傷つきながらも毅然とした花嫁の態度に、絵姿以上の魅力を感じた。
そして、その場で父親には渡すまいと決心したというわけさ。」
「ドラマです~。」
サミィがうっとりと呟いた。レイルの表情は変わらない。ムーンリットは苦笑した。
「そこからは、まさにメロドラマ。手に手を取っての逃避行。
もちろん父親は激怒したが、やがて我に返って折れたのさ。
どう見ても息子の方が花嫁と釣り合う、とね。」
ムーンリットが空になった杯をサミィに向けると、新しい瓶の栓が抜かれて注がれた。サミィは、レイルにも杯を干すように視線で促したが、レイルはゆっくりと首を横に振った。
「父親の怒りが解けて、戻った2人はこの上もなく幸せに暮らした。他の誰もが羨むほどにね。」
ムーンリットの白い指先が、竪琴の中で一番短い弦を弾いて微笑んだ。
「イザベルの物語は、これでお終い。」
レイルがためていた息を長く吐き出すと同時に、その口元から言葉がもれた。
「よかった…。」
机に額をこすりつけるように突っ伏したレイルの背中を、ムーンリットが軽く叩いた。
「彼女の安否が知れて、安心したかい?
それにしてもずいぶんと入れ込んだものだねぇ。」
その視線が、100本のSOSボトルに注がれる。中のメッセージが引き出されたものは、まだ片手の指に満たなかった。
「これはもう、必要ないね?」
開封していない分の代金はお返ししなくてはね。」
顔を上げると、レイルの視線は、ムーンリットの笑顔とぶつかった。
「い…いいんですか、それで?」
「どうしても必要でないのなら、必要としている相手に譲ってやるのも親切心だと思っていただければ幸いだ。」
「ありがとうございます。」
「そろそろ、夜が明けます~。
お二人とも戻ってお休みなられた方がいいですよ。」
空になったワインの瓶と杯を片づけながら、サミィは2人を促した。
今日は、3人とも寝不足で辛い一日を過ごすことになるに違いない。世界中が起き出す前にせめてもの仮眠を取りたいという思いからでた宣言だった。
まずレイルが立ち上がった。
「そうするよ、ありがとうサミィさん。
そして、ムーンリットさん、本当に、イザベルのことがわかってよかったと思います。
SOSのことも、ほんとにありがとうございました。」
優雅に会釈をして、ムーンリットはレイルを見つめた。
「ムーンと呼んでもらってかまわない。親しい人には皆、そうしてもらうので。
ではまた、いずれお会いできる日を楽しみに。
安らかな眠りと楽しい夢が、レイル殿に訪れるように祈らせていただこう。」
ムーンリットの言葉に深く礼を返したレイルは、そのままかき消えるように姿を消した。
「清算は起きてからだね、サミィ。」
問いかけるムーンリットに、サミィが肩をすくめて応えた。
「城まで戻るのは面倒だ。私もここで一緒に休ませてもらおうかな。」
「どうぞ~。わたしはこれを片づけてから寝ますから、お先にお休みになってください~。」
階段を欠伸をしながら上がり際、この日最後の歌声がムーンリットの唇から流れ出した。
「待っているから、はやくおいで。」
その後、不良品のSOSボトルの話は誰からも聞かれなくなった。
2001年3月27日校了
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